サッポロビール様が主催する『ヱビス プレミアムブラック』試飲イベントに参加してきました。
詳細は以下から。
『ヱビス プレミアムブラック』試飲イベント
場所は恵比寿ガーデンプレイス内にある『ヱビスビール記念館』。
ツアーガイドのお二人がヱビスビールの歴史を紹介していただききます。
1887年に設立した『日本麦酒醸造会社』。
設立から3年後の1890年に『ヱビスビール』は誕生しました。
当時は王冠で栓をする技術が確立されておらず、ワインと同じ様にコルク栓で封がされていました。
1904年(明治37)頃のビール1本の値段は20銭。現代の価格に換算すると約3,000円ととても高価な飲み物でした。
庶民の食べ物の代表格『かけ蕎麦』が当時1杯2銭ほど、コーヒーも同じく1銭~2銭程度だったので、ビールがいかに高価な飲み物だったか良く分かります。
未開封を示す紙の封印が二重になっている点からも高級感を感じますね。
1899年(明治32)8月4日、現在の銀座8丁目に、日本初となるビヤホール『恵比寿ビール ビヤホール』がオープンしました。
氷室で冷やした生ビール1杯(500ml)を10銭で提供し、連日大盛況の賑わいだったとの事です。
ビヤホール最初のつまみ『大根スライス』。
こちらは残念ながら人気が無かったとの事。
こちらは海老と蕗(ふき)の佃煮。
この二品は大根スライスとは異なり、人気のおつまみだったそうです。
1900年(明治33)、ヱビスビールは『パリ万国博覧会』で欧米のビールたちを抑えて金賞を獲得し、世界でその味が認められました。
航空機の無い時代に数十日も船で運搬した末の金賞獲得に世界中が驚嘆したとの事。
当時の贈答用木箱には金賞受賞の焼印が入っていました。
日本のビールは明治末期まで主にコルク栓が用いられていましたが、炭酸ガスが抜けてしまったり、開栓が面倒だったりと、不具合が多かったそうです。
王冠は1892年頃にアメリカで開発され日本にも紹介されていましたが、当時の手拭き製ビンは口の大きさや高さが不揃いで使用困難でした。
製ビン技術の向上で規格化・標準化が進み、大正前期に王冠の本格採用が始まったとの事。
ちなみにこの王冠のギザギザは『21個』だそうです。
写真の三脚など、物を固定したり止めたりする際に『三点留』が安定するらしく、王冠のギザギザの21個も3の倍数なので安定しているそうです。
1943年(昭和18)、戦争の影響からビールが『配給品』となり、ビール全商標が無くなってしまいました。
ブランド名が消され、ラベルに『麦酒』とだけ書かれたラベルに。
1971年(昭和46年)12月、『ヱビスビール』は28年ぶりに復活しました。
戦後のヱビスビールは麦芽100%でドイツ・バイエルン産のアロマホップを使用し、長期熟成が生み出す円熟の香味が特徴の『こだわりのビール』としてビール愛好家の圧倒的な支持を受けました。
後編では『ヱビス プレミアムブラック』の特徴や実際に試飲した感想、料理とのマリアージュなどをご紹介したいと思います。
(後編はこちら)
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